ビートルズ来日コンサート、テレビ放映なる!
(非常に待ち焦がれていた)番組(モノクロ映像)の冒頭、飛行機を降り、タクシーでホテルに向かうであろう道中の画面で前奏がないこの曲がいきなり流れた。「♫ ミスタ~アァ~~ムーン~ライ~ッ...(ミスター・ムーンライト)」
ウ、ウッ、震えが...来た。
コンサート会場の武道館では、前座の邦人歌手やバンドグループ等の演奏が次から次に始まった。雑魚は引っ込め(失礼!)、 早く観せろ!と気が焦る、自宅ブラウン管白黒テレビ前の正座姿のサダオがいた。
民放なので当然、CMの時間もある。彼らの登場をまだかまだかと、ひとり気を揉んでいた。1時間のうち半分は余計な(失礼!)演奏タイムだった。
万を期して、ザ・ビートルズの演奏が始まった...全力集中のサダオがいた。昭和41年(1966年)7月の夜9時半ばだったであろう。
彼等の映像を見るのは初めてだった。情報が少ない時代の、ラジオの日曜(土曜?)の夜8時からの洋楽ベストテン番組が唯一許された、彼等の曲が聴ける、彼等の最新の情報が得られる貴重な週一のチャンスだった、のだが...
ビートルズの流行に感化された昭和39年頃のサダオの親父は「テレビがあれば、ラジオはイランやろもん?」主義者だった。ラジオは箪笥の上に仕舞ってあった。専制君主の親父が居ない日以外はそれが聴けなかった。
本題に戻ろう。コンサートが佳境の中、ジョン・レノンが観客のテンションが低いと思ってか、観客を煽るような言動があった(と、思う)。
彼等のいつもの異常ともいえる喧騒の中でのコンサート状態とは、全く違う雰囲気に違和感を感じたのではないだろうか。それまでの自国を含め、他国の観客の姿との大きなギャップがそれを感じさせたのかも知れない。
この光景こそが、ビートルズの音楽を心から楽しんでいる日本人の文化なのではないだろうか。あっという間の夢のような30分間だった。
録画できる家庭用のビデオ機器登場はまだまだ先の話。サダオが購入できたのは、さらにまだまだ先の話。一回だけの視聴記憶のみ。 サダオはまだ15歳...。
2022.4.3記