近海丸遭難事件の犠牲者を追悼する淡島(あわしま)神社の女神像
長崎市にも多くの既存する慰霊碑がある。戦争、原爆、炭鉱や水害等の被災者へ鎮魂を祈り、建立されたものだ。が、グーグルマップに載ってない慰霊碑が式見地区の淡島神社境内にある。
終戦前年の1944(昭和19)年12月24日、三重村を出港し、式見村を経由した後、長崎港の大波止に向かっていた木造船・近海丸(26トン)が長崎港外の福田沖にて、大波によって傾き、転覆、沈没し、273名の尊い犠牲者を出した。
この近海丸遭難事件の犠牲者を追悼するために、高さ2メートルの石塔台座に乗り、銅製の高さ2メートルの立位姿勢で両手を天に大きく広げ哀悼する女神像が、長崎市式見地区の淡島神社境内の一角に建立されている。
近海丸遭難での犠牲者は当時の式見村や三重村の住民が多数を占めた。遺族や発起人等によって、1994年の被災後50年の節目に式見の地に女神像の慰霊碑ができた。
淡島神社は岩の上にあって、参詣の際は、車の通路はあるが急勾配でヘアピンカーブが2カ所あり、運転に自信が無い方は近くの海岸付近に駐車スペースがあるので、そちらを利用した方が無難かと。
以下の資料を基に勉強させてもらった。なぜ悲劇が起こったのか?なぜ悲劇の伝承が無かったのか?疑問点をこの力作が詳らかにしている。また、戦前戦後の式見村、三重村地区の様子も興味深かった。
「長崎 もう一つの戦災 近海丸遭難事件 三重式見航路に散った273人」
著者 五反田勝彦 氏
2022.6.20記