映画のロケ撮影でキッとした真理明美がいた
1964(昭和39)年の季節は夏の頃だと思うが、夜遅く、と言っても、中二の男子がまだ起きてる時間帯。何処から聞き付けたのか、もの珍しげに、見物しに行った。大浦石橋から少し行った上田町バス停付近で映画のロケ撮影があった。
そこにいたのは、目鼻立ちがはっきりした美人女優で、その年、「モンローのような女」で映画デビューしていた真理明美だった。
最終の路線バスが通り終わると、殆ど車の往来は無く、通りの店舗は閉まっていた。
車道を物見遊山の老若男女が埋めていた。暗い中、ひときわ目立つ白熱電灯の明かりが周囲を照らしていた。大浦川の半分暗渠の開口部に、車道と昔からある歩道を跨ぐかのように渡しの狭い橋が架けられていた。その橋の上で撮影が行われようとしていた。
そこへ、撮影隊を取り囲んでいた人混みを押し退けて、一人のチンピラ風の男が、撮影隊の中を肩で横切り、背後から女優・真理明美へわざとぶつかり、無言で通り過ぎた。一瞬表情を固くし、その無礼な男を眼で追う女優のキッとした美人の真顔の表情を、中二の私は正面からしっかり瞼に捉えました。
この時の映画題名は長崎が舞台の「愛・その奇跡」だったと思うが、記憶の裏付けと、当時の懐かしい大浦界隈を映像で確認したかったが、当時の映画ポスターは拝見したが、残念ながら、映像は観ることが出来なかった。
庶民が買えるスチールカメラでは白黒写真しか写せなかった頃だ。映画だとカラーで見れると期待したが、仕方ない。松竹がDVDビデオ化するか、アマゾンプライムか有線テレビで視聴できるようになることを期待したい。近いうちに是非映像を観たいものだ。
ところで、1964(昭和39)年は東京オリンピックがあった年だ。劇場公開用の東京オリンピックの公式記録映画が作られた。映画監督の市川 昆(いちかわ こん)が総監督だった。しかし、出来上がり具合に是非が喧々囂々(けんけんごうごう)としたことを憶えている。これまでのオリンピック記録映画と比べ、ドラマ的?芸術的?前衛的?に行き過ぎたのが原因だったのか?時代をあまりにも先取りしたのか?素人受けしなかった。
記録映画ではない、との評判に押されていた事が、思い出される。
2022.7.27記