PHP誌より武者小路実篤のエッセイ
以下、武者小路実篤のエッセイから抜粋しました。
=自由について
自由がないところでは自分を本当に生かすことはできないと思う。自由のないところに責任は持てないことは事実だと思う。現代は自由を本当に求めている人と、自由を恐れている人がいることは事実だと思う。自由を求めている人にもいろいろな段階があると思う。 自分勝手なことをするのを自由と思っている人もいるだろ。自分の行為に責任を持つことをいやがる自由は本当の自由とはいえないと思う。しかし自由をとりちがえて、他人に迷惑を与えることを恐れない自由は困った自由で、これを恐れるのは当然なことだと思う。しかし自分が本当に責任を持って正しいことをする自由はどこまでも尊重されるべき自由である。その自由が禁じられている世界は人間の本心を認めない世界に堕する恐れがあり、本当の平和は得られない。人間を不正直にさせる傾向があり、注意すべきである。暴力で他人の自由を束縛する行為は、人間を嘘つきにし、奴隷にする恐れがある。理性を否定することになる。自由のはきちがいは恐るべきだが、自由を正しい意味でも認めない社会は、本当の人間らしい世界とはいえない。また正しい人間として生きる権利を失い、人間の正しい進歩はなくなる。
しかし自由をはきちがえて、自分の利己的行為を是認する行動はもとよりよくない。しかし自由はどこまでも尊重し、自分の信念、誠意を生かせる自由は人間は持たねばならない。自由のない世界には進歩はないし、自分の誠意は生きない。本当の人間にはなれない。正しい自由が尊重されて、人間は自己を正直に生かせ、自分の真価を生かすことができるのだ。自由の完全にない国は、奴隷の国であって人間の国ではない。目ざめた人間が自由に生きられる国で人類は一歩一歩進歩できるのである=
後書き:
武者小路実篤のエッセイが含まれた『PHP』誌を私は21歳の頃、しばらくの期間購読していた。購読を止めた数年後、実篤は亡くなられている。そのエッセイから受ける印象は、老い先について、今でいう終活を考えている記述が度々見受けられた。その頃の若い私は、この人はなぜ人生の終末について、何度も考えを述べるのだろうかと思い、少し鬱陶しかった。実篤は1976年4月9日90歳で、お亡くなりになった。今の私は彼の心情が少しは解るような、いい年頃になった…かな?
2023.2.8記