高倉健が映画撮影のため長崎へ来た頃
中学校の廊下の窓越しの上目方向に、たたずむ高倉健を視た。
鉄筋4階建て校舎の4階に、中三の私のクラスがあった。教室から視線の高さに、校舎に沿って石畳の道路が走っていた。さらにその先の石垣の上に女子短大の鉄の門扉の通用門があった。教室の席から首を右に振り向けば、瀟洒な洋館建ての一部が木立から垣間見えた。
ある日の授業中、誰かが、高倉健だ〜! と発した。途端、教室のほぼすべての吾々、生徒が起立し、一斉に教室の窓ガラス越しから廊下の窓越しの先を注視した。閉ざされた門扉の前に彼ら3人が佇んでいたのを発見した。
その時、受け持ち授業の先生は吾々をすぐに制止しようとしなかった。わぁ〜と歓声を挙げていっせいに引き戸のドアを開け、廊下の窓にすり寄った。
空き放たれていた窓越しに、人物をはっきり確認した。気付いた彼らのうち一人が、こちら向きに右足を高く上げ、V字開脚をした。大変なサービスだ。と、思ったがどうやら、カメラへのポーズだったらしい。が、一段の歓声が響いた。
そこで、先生の制止の一声、「教室へ戻りなさい」。
ほんの1,2分の予期せぬ出来事を捌いた先生の粋な計らいだった。誰だったか、先生の顔を今となっては思い浮かべることは、もうできない。
当時の学校の先生は今より遥かに威厳があり、リスペクトしていた時代の事。淡々とした静かな授業風景が普通だった。
先生は突然のハプニングを、生徒の好奇心を満足させながらも、すぐに軌道修正し、これに素直に従う生徒。あの時代はもう帰ってはこない...。
遠目での、若き日の高倉健の顔も今となっては、ボヤッとしてはっきり思い出せない。
昭和40年(1965年)東京オリンピックがあった次の年。英語の授業が一番好きだった頃...サダオ14歳。
2022.4.25記
追伸:高倉健は東映映画主演作の網走番外地シリーズが大ヒット中で、既に大スターだった。
追記:”網走番外地・望郷編”で長崎がロケ地となっていた。長崎港一帯、大浦、東山手、大波止湾岸、旭町湾岸、それに”長崎くんち”も織り込んだ昭和40年当時の長崎市街がカラー映像で観れる(私はアマゾン・プライム・ビデオで視聴した)。当時、”くんち”時期に合わせて、サーカス団が大波止会場の一角で設営・興行していたが、テント張り(?)の建屋も映っていたよ。