旧柳川藩・立花家の最後のお姫様
私は庭の雑草を摘み取るとき、よく思い浮かべることがあります。それは 「庭には草が生えないと思っていました」という言葉です。
これは、旧柳川藩・立花家の最後のお姫様と言われた方で、「幼少の頃は屋敷の庭には草は生えないと思ってました」と、にこやかに述べられていたご高齢の婦人の映像の記憶が、私にあるからです。それは立花家の屋敷「御花」での幼少の頃の思い出を語っておられた一節でした。
彼女は自叙伝を残しています。表題が「なんとかなるわよ」副題が「お姫(ひい)さま、そして女将へ 立花文子自伝」。この本の中でその一節が述べられています。
P.45より抜粋:
《 「うちの庭にはどうして草が生えないのだろう」と不思議に思っていたので母に尋ねました。「よその家に行くと草が生えているのに、うちは草が生えないようになっているのでしょうか」と。恥ずかしいことですが、その理由を知ったのはずいぶん大きくなってからの事でした。
草取り作業をする人たちがいつもいて、私たちが庭の散策をしようとすると、奥詰めという立花家の役人が庭に走り、道筋の作業を中断させるのです。作業する姿を見せないようにして、別の場所の草取りをするようになっていたそうです。子どもにはそんなからくりは見えるはずもありませんでした。 》
立花文子女史は華族の伯爵令嬢から料亭女将として、明治・大正・昭和・平成の4時代100年をたくましく生き抜き、旧大名家が新しい時代に生き残るための道筋を切り開いた女性でした。
これからも幾度となく、庭の雑草を引き抜くとき、私はこの一節を思い浮かべるのでしょうね。
2023.4.21記