リヒャルト・シュトラウス考
私のオーディオは暑い時期は熱暴走して爆裂音をかき鳴らす。よって、冬季限定だ。
机上の温度計は12度。椅子に座り、膝にネル厚地で電熱入りの腰掛布をまとっている。だが、寒い...
スピーカーから流れているのはリヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲だ。コントラバスが8人もいる大編成曲だ。パルプオルガンの低音が浸み亘るゆるやかで静かなイントロを奏でている...。
テレビの音楽番組で、有名なバイオリニストが「シュトラウスの曲は僕は演奏しないんですよ」と暗に、一部の世間の風潮に迎合するかの如く、ナチスの片棒担いだシュトラウスが嫌いなんですゥと言わんばかりに、視えた。
浅はかな歴史認識をうのみにし、戦後生まれで平和な時代を生きてきた彼に、何がわかるのだろうか?
いつの時代も、時の権力者は芸術をプロパガンダに利用して来た。特に音楽は最たるものだった。自分や家族の命が関わることだ。権力に慮(おもんばか)るのを誰も非難はできない。シュトラウスの息子の嫁はユダヤ人だった。下手すりゃ嫁と孫は収容所送りだ。家族の悲劇は紙一重で必死だっただろう。
雄大なアルプスの山容に繰り広げられる自然の息遣いや荒々しさ、静から動へ、タムタム、シンパル、ティンパニーが、我こそはと、全楽器が鳴り響き、怒涛のクラマックスから、徐々にいつもの穏やかさ、静けさで終える...
素晴らしい曲だ。この作曲家を侮辱する奴は...
「こ、こ、肥溜めに、落ちろ! クソがァ~!!」
2022.2.5記